ソフトウェア開発費の見積り、プロジェクトマネジメント、
発注者と受注者の間の合意形成等に参考となる情報を不定期に掲載していきます。
不確実性と向き合う見積り 第1回
なぜ「先に全部決める」見積りが通用しなくなったのか
2026.08.20
著者:
Scrum Inc. Japan 山本 尊人
システム開発では、投資する側から「結局、いくらかかるのですか」と聞かれる場面があります。ここでいう投資する側とは、受託案件における発注者だけでなく、社内案件におけるプロジェクト責任者も含みます。予算を確保し、組織として意思決定する以上、当然の問いです。一方、開発する側にとって、顧客のニーズや実現方法が分からない段階で正確な金額を示すことは簡単ではありません。
アジャイルで進めるとしても、いくらかかるのか、何が実現できるのかが分からなければ、投資する側は判断できません。双方に合理的な事情があります。
それでも、最初にすべてを決め、見積りを一度で確定させようとすると、両者の期待がずれ、後になって追加費用やスコープをめぐる対立につながることがあります。問題は見積りそのものではありません。どのような仕事に、どのような見積り方を使うのかです。
■すべての仕事を同じようには予測できない
過去に何度も経験し、技術や要件が十分に分かっている仕事であれば、事前に詳細まで見積もることも有効です。過去の実績や類似案件をもとに、比較的高い精度で予測できます。何をどのように作るのかが明確なら、工数を積み上げる方法も有効です。
一方、新しいプロダクトの開発ではどうでしょうか。顧客が何を必要としているのか、新しい技術が期待どおりに機能するのか、どの方法が最善なのか。着手前には十分に分からないことがあります。
その状態で作業を細かく分解し、時間単位で工数を積み上げても、その数字が正確な未来を表しているとは限りません。数字が細かいことと、予測の精度が高いことは同じではありません。問題は、不確実性の高い仕事に、予測可能性の高い仕事と同じ見積り方を適用することにあります。
■不確実性には濃淡がある
予測しやすさは、仕事によって異なります。状況が比較的安定していて予測しやすい仕事もあれば、不確実性が高く、試しながら進める必要がある仕事もあります。

【図:複雑性によるプロジェクト運営の違い】 参考:Management 3.0 Complexity Thinking
秩序だった領域では、原因と結果の関係が比較的分かりやすく、過去の経験や知識を活用できます。一方、複雑な領域では、事前に分析するだけでは何が有効なのか分からず、実際に試し、結果を観察して初めて分かることがあります。
実際のプロダクトやシステム開発では、こうした異なる性質の仕事が混在します。要件が明確な部分もあれば、利用者の反応を見なければ判断できない部分もあります。その性質に応じて、予測の仕方を変えていきます。
■AIが予測の賞味期限をさらに短くする
AIの台頭は、この状況をさらに加速させています。これまで数週間かかると考えていた作業を、AIによって短期間で試せることがあります。難しいと考えていたことに、新しい実現方法が見つかることもあります。
つまり、何が作れるのか、どのように作るのか、どれくらいの期間で実現できるのかという前提そのものが、短期間で変化しています。
AIの活用が進むほど、最初に立てた予測の賞味期限は短くなります。新しく得られた情報や実績を使って、より短いサイクルで予測を更新することが求められます。
■計画達成だけでなく、価値探索へ
不確実性の高い仕事では、最初の計画どおりに作ることだけを成功とする考え方には限界があります。開発を進めることで、当初は分からなかったことが見えてくるからです。
現時点で分かっていることから予測し、実行する。結果を観察し、分かったことを次の判断に反映する。このサイクルを繰り返すことで、分かることを増やしながら、より価値の高い方向へ進むことができます。
見積りも、このサイクルの一部として捉え直す必要があります。見積りは、未来を一度で言い当てるための数字ではありません。その時点で分かっていることから、この先どうなりそうかを捉えるための予測です。
予測である以上、新しい情報が得られれば変わることがあります。その時点で得られている情報から現実的な見通しを持ち、新しい情報が得られれば更新していきます。
■すべてを曖昧にすればよいわけではない
不確実性があっても、すべてを曖昧なまま始めるわけではありません。見通しの立つ部分もあれば、試しながら探る部分もあります。予算や期限など、事前に決めるべきこともあります。
大切なのは、すべてを先に決めるか、何も決めないかという二択にしないことです。では、不確実性がある中で、何を決め、何に変更の余地を残せばよいのでしょうか。
次回は、不確実性の濃淡を見極めながら、何を約束し、何を探索するのかを分けて考える方法を取り上げます。
※このコラムは全6回を予定しています。
大手SIerにおけるシステム開発の経験を経て、現在はScrum Inc. Japanで、企業や組織のアジャイル開発・組織変革を支援。スクラムの導入・実践、プロダクト開発、組織づくりに関するコーチングや研修、人材育成に携わる。企業支援と大学教育の双方を通じて、複雑で変化の大きい環境におけるプロダクト開発とマネジメントのあり方を伝えている。関西学院大学、山梨大学非常勤講師。