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ソフトウェア開発費の見積り、プロジェクトマネジメント、
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なぜ、今アジャイルなのか

第3回 アジャイルの担い手たち ー リーダーと役割の再定義

2025.06.26

著者:

株式会社MSOL Digital 鈴木 康一郎

 アジャイルと聞くとスクラムマスターやプロダクトオーナー、開発メンバーといった役
割分担が思い浮かぶかもしれない。これらの名称はスクラムと呼ばれる代表的なアジャ
イル手法の普及とともに広まり、一定の機能や責任範囲を示す言葉として現場で使われ
てきた。
 しかし、現在の開発現場はそのような明確な役割分担だけでは対応しきれない複雑性に
直面している。環境変化のスピード、プロダクトの技術的難易度、顧客ニーズの多様性
などが絡み合い、教科書的な役割分担や責任の境界では立ち行かなくなるケースがある。
 このような現実において求められるのは肩書きにとらわれず、現場にとって本当に必要
な行動を選択し、実行することのできる柔軟なリーダーである。では、どのような人物
がこれからのアジャイル実践を支える中心的な存在になり得るのだろうか。

<求められる「越境型リーダー」の重要性>
 従来、スクラムマスターは開発プロセスの円滑な運用を支える立場、プロダクトオーナ
ーはビジネスサイドの要件をまとめる中心人物とされてきた。しかし、現在はそのよう
な線引きに収まらない動きが求められている。
 たとえば、技術とビジネスの双方を理解し、専門用語の翻訳ができる人。顧客や社内関
係者と信頼関係を築き、建設的な対話を進められる人。メンバーの心理的な変化に敏感
に反応し、支援の必要なタイミングを察知できる人。そしてときには自ら手を動かして
技術的課題の解決に加わる覚悟を持った人。
 こうした存在は、与えられた役割を超えて「境界を越える力」を発揮していると言える。
つまり、目の前のチームやプロダクトにとって今何が必要かを柔軟に見極め、職域を超
えて行動できる人材こそがこれからのアジャイルを支える中心人物である。

<感情的知性と技術的対話力の両立>
 こうした人物に共通して求められる素養のひとつが「感情的知性(Emotional
Intelligence)」である。これは他者の感情を理解し、適切に対応する力であり、アジャ
イルのように変化や対話を重視する環境では不可欠な要素だ。
 たとえば、進捗が思うように出ない場面では、メンバーが言葉にしない焦りや不安を抱
えていることがある。そのような兆候に気づき、早期に場を整える力はマネジメントの
技術だけでは身につかない。
 一方で、感情への配慮だけでは成果にはつながらない。技術的な知見や事業理解をもと
に議論を深め、抽象的な議論を現実的なアクションへと落とし込む地に足のついた対話
力も同時に求められる。
 状況に応じて、感情の機微と論理的な議論の両面に対応できること。それが現代のアジ
ャイル実践において求められる重要な能力である。

<現場主導型へのマネジメント転換>
 このような柔軟性と感受性を備えた人物像の登場は旧来型のマネジメント手法に再考
を迫っている。指示命令を中心とした管理手法では現場が直面する多様な課題に応える
ことが難しいからだ。
 マネジメントには「正解を与える」姿勢から「問いを投げかけ、気づきを促す」姿勢へ
の変化が求められている。つまり、メンバーを管理対象と見るのではなく、可能性を持
つ協働者として信頼し、その自律性を育てる支援者であることが必要なのだ。
 たとえば、スプリントの目標が達成できなかった場面。従来であれば「なぜ達成できな
かったのか」と原因追及が重視されてきた。しかし、今後必要なのは「何を学び、次に
どう活かすか」という未来志向のフィードバックである。

<自らのあり方を問い直す視点>
 今後、アジャイルの担い手となる人にとって重要なのは目の前の状況に応じて自らの関
わり方を選び取る力である。そのためには、日々の実践の中で、次のような視点を持つ
ことが欠かせない。
 ● 自分はいまどの分野や関係性の境界を越えようとしているのか。
 ● チーム内でどのような感情の動きが起きており、それをどう捉えているか。
 ● 技術やビジネスに関する議論が空中戦になっていないか、自分にできることはない
か。
 ● 組織内で信頼を前提とした育成ができているか、それを阻む要因は何か。
 これらの問いに継続的に向き合い、自身の関わり方を内省することで、単なる役職や担
当を超えた「変化の推進者」として成長していくことができる。
 今、アジャイルの現場で本当に必要とされているのは「決められた分担」に従う存在で
はない。環境の変化を読み取り、感情と技術の両面から現場に伴走できる柔軟でしなや
かな担い手である。
 では、こうした人物をいかに見出し、支え、育んでいけるのか。次回はアジャイルにこ
そマネジメントが必要であるという視点から人間中心の価値創造を促進するマネジメ
ントのあり方を考察する。

※このコラムは全4回を予定しています。

参考
コラムの著者
株式会社MSOL Digital
鈴木 康一郎(すずき こういちろう)

株式会社MSOL Digital Agile and Consulting Service Department に勤務。多様なアジャイルプロジェクトの支援を通じて現場に実践的な価値を提供する傍ら、MSOLグループでは独自研修の企画・講師を務め、アジャイルの組織的な定着と普及に尽力している。Agile Japan 2024 登壇者。

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